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大阪城②

いよいよ大阪城内へ入場します
大手門です
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本当に何もかもが大きいなぁ…

「城の状麺を大手(追手おって)と言い、その入口を大手口(追手口)、設けられた門を大手門(追手門)と呼ぶ。現存する大阪城の大手門は寛永5年(1626)、徳川幕府により大阪城再築工事の際に創建された。正面左右の親柱の間に屋根を乗せ、親柱それぞれの背後に立つ控柱との間にも屋根を乗せた高麗門形式である。」
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「屋根は本瓦葺で、扉や親柱を黒塗総鉄板張とする。開口部の幅は約5.5m、高さ約7.1m。親柱・控柱の下部はその後の腐食に因り根継が施されているが、中でも正面右側の控柱の継手は、一見不可能にしか見えない技法が駆使されている。」


大手口枡形という城の主要な出入口に設けられる四角い区画の先にある多聞櫓
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その大手口枡形にある巨石です
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「敵の侵入を食い止める役割を果たした大手口枡形は、城の威容を誇示する巨石が数多く使用されている。」
写真手前の巨石は大手見付石で表面積が約29畳敷(47.98㎥)の城内4位、写真奥の巨石は大手二番石で約23畳敷(37.90㎥)の城内5位の大きさがあるとか

こんな大きな石を瀬戸内海の小豆島から運んだようですよ!凄いですね~

多聞櫓です
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「大手口枡形の石垣の上に建つ櫓で、大門の上に跨ぐ渡櫓とその右側に直角に折れて接続する続櫓によって構成される。徳川幕府による大阪城再築工事により寛永5年(1628)に創建されたが、天明3年(1783)の落雷に因って全焼し、嘉永元年(1848)に再建された。」

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「土塁や石垣上に築かれた長屋状の建物を一般に多聞と呼ぶが、その名称は戦国時代の武将・松永久秀が大和国の多聞城でこうした形式の櫓を初めて築いた事に由来すると言われる。
現存する多門櫓の中でも、この多門櫓は最大規模で、高さ約14.7m、建築総面積は約710.25㎥ある。渡櫓内部には70畳敷を最大とする部屋が4室、続櫓内部には廊下のほか9畳・12畳・15畳の部屋が計6室あって、多数の兵や武器を蓄える事ができ、枡形の内側に多くの窓があり、また大門を潜る敵を真上から攻撃する櫓落としの装置が設けられるなど、高い防御能力を備えている。」

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櫓の上に計300畳以上の広さがあるだけあって、厚み?というか門なのに、門を入って土間を通って門を抜けるような感覚ですね

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「大阪城の二の丸には京橋口、玉造口にも多聞櫓があったが、現存するのはここだけである。」

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ボランティアのおじさんの多聞櫓の説明を聞きながら写真を撮っていると…
ココでカメラが終了!!(o;TωT)o" なんでやねん!

リセットしても駄目なので泣く泣く諦めて、後は携帯でパシャパシャ☆

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2Fに展示されている現在天守閣で使われている金の鯱鉾と伏虎、菊の御紋の原寸大レプリカ
圧倒される大きさでしたよ~!
この前で記念撮影している人が多かったです

8Fの手摺にはカバーが掛けられてました
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そして、落下防止のネットが張られてました
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でも、カメラで撮影出来るようになのか、ところどころネットがなかったは良いと思いました



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大阪城
「豊臣秀吉によって大坂城が築かれ、豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となったが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失した。徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数メートルの盛り土をして縄張を改めさせ豊臣氏の影響力と記憶を払拭するように再建したとされる。その後、幕府の近畿地方、および西日本支配の拠点となった。姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられている。

現在は、昭和初期に復興された天守と幕末期の櫓や門などが現存し、城跡は国の特別史跡に指定されている。」
復興天守には市民の寄付金申し込みが殺到したとか
半年で目標額の150万円(現在の600億から700億円に相当する)寄付金が集まったそうで、市民の熱い心意気を感じます

本当に立派なお城でした







もう1つ グッと心惹かれた建物がコチラ
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大阪市立博物館
旧陸軍第四師団司令部庁舎を利用して昭和35年(1960)に市立博物館として開館し、平成13年(2001)に大阪歴史博物館の開館に伴い閉館したとか

大阪に現存する最大の戦争史跡として保存する予定ではあるものの、今後の仕様予定は未定となっているとか
勿体無いです
こんな歴史のある建物は利用してこそ!




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