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鹿児島☆仙巌園②

御殿の横から奥の庭園へと歩いて行けると言うので…
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コチラには歩いて来ている人が少なくて、ひっそり静か
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保津川の流れの音だけ


奥へと歩いて行くと、若者の姿が多くなりました
どうも、NHKの大河ドラマ「篤姫」の撮影が行われたらしく、撮影風景の写真の展示や出演者のサインなどが飾ってるドラマで使われたらしい小屋があったり
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この石段を上ると、猫神社や猫グッズのお店があるという事でしたが、若者で賑わっていたのでスルー


コレは、水道橋
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右の欄干と左の欄干の形が違います
右の山型の欄干の中には水道管が通っていて、園内の竹林からの湧水を御殿へと送っていたのだとか
でも、数年前の大水害により、竹林も湧水の祠もこの橋も流されてしまい、復元された現在のこの水道橋の山型の欄干内には、水道管は通っていないンだそうです

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こうして橋の上から見ると、かなりの高さがあるように思いますが、この橋をも流すくらいの濁流が、こんな高さまで来たのかと思うと怖いですね…
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ちょっと気になった川岸の小道
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どこへ繋がってるのかなぁ…

水道橋を渡ると竹林がありました
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「江南竹林とは中国南部産の毛竹の別称で、日本に伝えられた後に孟宗竹と呼ばれるようになったそうです。
元文元年(1736年)第21代当主・島津吉貴は、中国の孟宗竹(江南竹)を琉球王国から2株取り寄せ、仙巌園に植えました。美味しい筍で知られる孟宗竹は、ここから全国に広まりました。」

ほぉ…
私の大好きな筍は、ココから始まったンだぁ…
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島津のお殿様達も、この竹林の筍を食べたンでしょうね

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ひょっこりと、つくしんぼ! 今頃???

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江南竹林の周辺

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「邸宅裏山の岩壁には中国式庭園に多く見られる磨崖文字が彫られ(千尋巌)と刻まれています。」
第27代当主・島津斉興が、文化11年(1814年)に延べ3900人の人夫を動員して3か月かけて彫らせたンだとか
3文字の長さは11m!!おぉ
また、好書家でもあった為、文化15年(1818年)には、裏山の山頂に使い古した禿筆を埋めて供養した筆塚も建てあるとか


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この奥には、御庭神社があったらしいのですが、ちょっと寂しい感じで、なんとなく入りきれず…

更に歩いて行くと、珍しい色をした木がありました
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妙に赤茶色い木だね~と

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ばくちの木(はだかのき)
「暖地に自生する珍しい樹で、樹皮は灰褐色で5月頃に皮が大きく剥げ落ちた後は、紅黄色の美しい幹肌になる。皮が剥げ落ちて裸になる事から博打の木と名付けられたらしい。葉からバクチ水(せき止め)を作り、材はマホガニー代用として家具器具に用いられ、八丈島では樹皮から黄色染料を採る。」
ほぉほぉ

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ばくちの木の近くにあった木に、脚の長~い体の青い蜘蛛が一杯いて、一生懸命カメラを近づけて撮ってみたけど、分かるかなぁ???
コレは、何ていう蜘蛛なんだろう

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江南竹林と曲水の庭を結ぶ道

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時期的に、殆どお花のないお庭だったけど…
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太宰府と同じように、このお庭でも曲水の庭の上流から酒盃を流して、酒盃が目の前を通過するまでに和歌を詠むという風流な曲水の宴が行われたりするそうです

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曲水の庭からも、桜島が見えます

この時、何か、ポン…ポン…と音がしている気がしていたけど、桜島が活発に活動していて噴火していたようですね~後になって知りました


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曲水の庭の前庭になるのかな
つつじがキレイでした

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見た事ない白い花が一杯咲いた木の前を通っ行くと…

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望嶽楼
第19代当主・島津光久が琉球国王から贈られたもので、薩摩藩主が琉球使節を応接する時に用いられたと伝えられる中国風の建物だとか

「薩摩は我が国の南の玄関口に位置し、当地を治めてきた島津氏も、琉球王国を介して積極的に中国の文物を受容し、その文化の影響を受けました。仙巌園は、そのような環境の下で整備されたため、日本庭園でありながら、各所に中国の作庭趣法を取り入れており、独自の調和美をつくりだしています。
望嶽楼は、床は清朝初期の阿房宮の床瓦を、額は4世紀の中国東晋時代の文人王義之(おうぎし)の書を模したと言われています。
邸宅裏山の岩壁には、中国式庭園に多く見られる磨崖文字が彫られ、千尋巌と刻まれています。中国の御禊(みそぎ)儀礼を淵源とする曲水の宴を催した曲水の庭が築かれ、中国から日本で輸入した孟宗竹を移植した江南竹林など、仙巌園では、広大な敷地の随所で中国文化の強い影響を感じることができます。」


ぐるりと一周して、磯御殿前の池に
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明治31年、第30代当主・島津忠重が東京に移り住むまで使われていたそうです


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昭和24年(1949年)に鹿児島市の管理となり、一般に開放されるようになり、昭和32年(1957年)には島津家に返還され、現在は、第32代当主・島津修久の運営する島津興業が管理しているンだとか

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入園料が大人¥1000
確かに、見応えがありますが、もうちょっとお安かったら良いのになぁ…と思いますね


仙巌園

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